お客さまの声

株式会社岸本工務店 神田 亮氏 × 梓不動産株式会社 吉田 豊師弟の関係を超えて、意見をぶつけ合わせながら中小企業が淘汰される時代を生き抜きます。

吉田「僕にとっては完全に師匠です。恩師ですよね」神田「意見がぶつかる時に生まれるものが絶対にある」

偶然が重なり続けて、早20年。

 
僕と吉田さんのお兄さんは、予備校時代の同級生なんです。学生時代に、お兄さんを訪ねて実家に遊びにいった時に、弟である吉田さんがいたことから関係は始まります。
 
そうですね。その当時、2人とも偶然、同じバイクを乗っていて。
 
そうそう。お兄ちゃんそっちのけで、バイクの話で盛り上がっちゃって。もう20年ちかく前ですよ。
 
それから数年後、一緒に仕事をするきっかけになったのも、兄に会うために、うちにご飯を食べに来た時ですよね。
 
そうですね。久しぶりに再会して「いま何をしてるの?」っていう話になって。まだ吉田さんも外に働きに出ていた。
 
他の企業で、会社員をしていましたね。
 
その時に「近いうちに、梓不動産に戻ってくる」っていう風に聞いたんだと思います。僕の会社は、現在ではビルダーとしての仕事が多いんですが、当時は分譲事業をメインでやっていました。
 
そこから僕は本当にいろいろと神田さんには教わりましたよ。弊社の業務としては、当時は賃貸ばかりを扱っていたので、分譲のことはまったく分からない状態。それに、神田さんは、現場監督あがりの方なので、現場のことをすべて知っています。一方、私は不動産業ひとすじでしたから、現場のこともぜんぜん分からないわけです。「建築とはなんぞや」っていうところから「不動産の扱い方」まで、すべてを教わりました。僕にとっては、完全に師匠です。恩師ですよね。
 
(ニヤッ)
 
あ、照れてる(笑)
 
まあ、お互いに持ち合わせていない部分があったので、補い合えるように思ったし、1人で仕事を進めるのと比べると、意見がぶつかったりすることもありますけど、意見が交差する時に生まれるものが絶対にあると思います。その交差点が、お互いの糧になっていたんじゃないかな。
 
あとは、アレですよね。ちょっとリアルな話になりますけど……お金の話があって……。
 
うん。お互いの借金問題ね(苦笑)。重くて暗~い話も、昔はたくさんしたよね。

自分でつくって、自分で売る。当たり前のこと。

 
 
 
これまで、一番たいへんだったのは、瀬田の物件ですよね。
 
うん、アレだね。あの時は一緒に手がけた物件が、なかなか売れなくて。当然、最終的には売れましたけどね。少し斬新すぎたのかな? 細長い土地に2棟の戸建てを作ったんです。とにかく細長かったから、玄関を正面に持ってくると、廊下がすごく長くなっちゃう。だから勇気を出して、中庭を共有させて、2棟とも真ん中から入ることにしたんです。まあ、2家族が毎日、同じ時間に家を出るわけではないですから。
 
そう。そこまで考えてつくったんですが、売れなかった……。
 
よく、掃除をしに行ったよね、2人で。
 
はい。真夏の暑い時に(笑)
 
夏は植えた木や草が雑に伸びますから。それも手入れしないといけない。
 
そういった辺りも神田さんに教わったことの1つですよね。「売れなければ、自分で掃除にいくんだ」っていう。メンテナンスだって、自分でやらないといけない。
 
もちろん他の人に頼んでもいいんですよ。でも当然お金がかかるし、自分でつくったものが売れないなら、自分で汗水をたらして掃除をするのは当たり前のことです。雑巾がけもするし、窓ガラスも拭く。
 
だからこそ、「早く売るべきだ」っていうことも、教わりました。
 
辛い思いをしたくなかったら、早く売る。そういうことですね(笑)。もちろん、彼から教わることもたくさんありますよ。例えば、僕はプライド的な面もあって、薄利多売するっていうのがビジネスビジョンの中にないんです。高く買って、そこにさらなる付加価値をのせて、より高く売るっていうのが僕のコンセプト。ただ、やっぱりそれをできるエリアっていうのは、限られているんですよね。
 
確かにそうですね。どの土地でもそれができるかというと、現実的には難しい。
 
ちょっとした下町の相続案件で100坪の土地が出たとして、100坪のままで売れるかっていうと、そんなことはなくて、やっぱり細切れにしないといけない。そういうことは、彼から教わりました。

中編へつづく